患者とのコミュニケーションの工夫

ナースは,患者さんの反応がコミュニケ一シヨンが通じるか.見当識があるかを判断しなければなりません.見当識を補助するコミュニケ一ション方法,ベッドからの転落防止(ベッド柵.低いベッド).チューブ類の自己抜去防止を行なうことが必要です.とくにコミュニケ一シヨンでは.わかりやすく穏やかな話し方をする必要があります.すべての日常生活援助が必要な患者さんが多く.援助する際には必ず声かけをしながら行ないます.反応がなくてもていねいに声をがけましょう.ただし.反応があっても「早くしましょう」という言葉は患者さんの行動を急がせることになるためさけてください.ていねいにわかりやすい言葉で.輸液がされていること.またその目的などを.ル一卜類を抜けない工夫をしたうえで説明しましょう.

 

 

 


しかし.意識レペルが低下しているときは,脳のダメージがあるために失語症見当識を失っている状態のことが多く.話しかけても理解されていない場合があります.理解されていないと感じる場合は.くり返して説明すること.別の表現にかえてみることも大切です.段階をおいて一度に多くの説明をしないこと.返事や了解を求める場合は「Yes. No」で答えられるような工夫をします.患者さんが話せる場合は.十分な間をとり.ゆっくりと辛抱強く聞くことが必要です.患者さんがうまく話せたり理解できたときには.はっきりとほめたり—緒に喜んだりします.患者さんの表現力を助けつつ.話しかけるときは短い文でゆっくりと.早□にならないように心がけましょう.

 

 

 

患者さんの家族からは.「そばにいたい.患者の状態を知りたい」といラニ一ズが強いため.家族の待機場所や慰安方法に注意してください.患者さんの危機的状態は,家族機能を困難な状態に陥れることになります.その際の対応として必要なことは.家族が患者さんの状態を受け入れて適応していく過程のサポートです.家族は不安が強く疲労感があり,不眠状態のことが多くなります.わずかな時間であっても.家族に目を向けてねぎらいの言葉をかけることなどが大切です.

 

 

 


危機的状態にある患者さんおよび家族に対して.恒常性を取り戻し適応するためには.その不安を理解し.時間を調整しながら現状を説明していくことが必要になります.そして段階を追って.今の状況がら将来を受け入られる時間を待ちましょう.

 

五臓六腑とはどこを指すのですか?

ひとつ違いの数字を2つ含む四字熟語に.「一石二鳥」「二人三脚」「三寒四温」「四捨五入」などがありますが,「五臓六腑」はお酒の席で耳にします.「五臓六腑にしみわたる」は.飲んだお酒が体の隅々にジワッと広がる幸福感です.

 


五臓六腑は.中国の伝統医学(東洋医学)で“はらわた(内臟)”のことです.「精•気•血」が心身を司っていると考えられており.五臓はこれらを蓄える実質臓器(肝•心•脾•肺•腎).六腑はこれらを動かす管腔臓器(胆・小腸•胃•大腸•膀胱•三焦)です.

 


五臓の最初の2つは「肝心」という日常用語にも使われています.五臓に肝臓は含まれません.なお.五臓六腑は表裏一体の関係にあり.辟と胆.心と小腸.牌と胃.肺と大腸.腎と膀胱がペアになっています.この関係は.今でも「肝胆相照らす(心の奥底まで理解し親密につき合う仲)」という言葉に残っています.

 


さて.「臓」や「腑Jから連想するのは.臓物(モツ)です.家畜の内臓.つまりホルモンは“ほうるもん(投げ捨てるもの)-で,安い食材でしたが.もつ鍋は若い女性にも人気です.

 


ここでホルモン用語を復習しておきましょう.五臓の酐臓は••レパ(Liver)".心臓は“ハッ(Heart)'.脾臓は"タチギモ肺は“フワ(フワッとした食感)”.胃臓は••マメ(形がソラマメ)"です.

 


六腑のうち.胃腸は“シロ(色が白い)”で.胃は“ミノ” “ハチノス"“センマイ” “ガツ(Gut)".腸は••ゾウキン"••ヒモ(紐)”.直腸は••ベタ(食感がぺったり)”です.横隔膜は"サガリ(呼吸で上下するから?)”.舌は“タン(Tongue)".尾は“テ一ル(Tail)”.子宮は“コプクロ(子を宿す袋)”.精巣は"タマ”です.

 


最後に,「腯分け」という言葉も知っておきましよう.これは臓器の分別.すなわち死体解剖のことです.わが国では.1754年に山脇東洋がはじめて「腑分け」を行ないました.その後.女性死刑囚の腑分けを見学した杉田玄白(小浜藩医)と前野良沢(中津藩医)は.オランダ語で書かれた解剖書『ターへル•アナトミア」の挿し絵と見事に一致していることに感動し,閫和辞書もない鎖国の時代に.この本を翻訳•出版しました(『解体新書』1774年).吉村昭の『冬の鷹』(新潮文庫)を読むと.先人の偉大さに感動します.

 

「貯蓄から投資へ」の切り札

こうしたメリットにより、投資信託は、「貯蓄から投資へ」といわれる投資促進策の切り札とされてきました。現在では、主力の公募投信だけで河兆円の残高を有しています。ただし、この数字は90兆円に上る家計資産のごく一部に過ぎず、投信先進国の米国と比べるとかなり低い水準にとどまっています。投資信託は、投資家保護のしくみや専門家の運用スキルを利用するためのコストとして、運用報酬や管理報酬が差し引かれます。十分な運用成績を上げられない投資信託ではこの手数料負担が大きく効いてきます。また、購入時や解約時にも手数料がかかるのが一般的です。そのため、こうした手数料を獲得するために投資家に短期間での売買を勧奨することも少なくないといわれており投資家が安定的な投資成果を事受するという本来の投資信託のメリットが必ずしも活かされてこなかったという経緯があります。結局、「専門家に運用を任せる」投資信託についても、適切な投信を選ぶという=目利き=力が必要だといえます。投資信託には他の金融商品にはないメリットがあるわけですから、それをうまく活かせば、一般投資家の主力投資商品として成長する大きな潜在力があることは間違いないでしょう。

 

 

コンビニ・ケイタイ時代のケア

ある社会状況の変化が、疾病構造を劇的に変えることがあります。

 

 

 

 

 

 

 

思い切り古いところでは、コロンブスの大航海が広めた梅毒。近いところでは、スナック菓子の普及で増えた子どもの肥満、リストラにおびえる中年男性のうつ病。抗生剤が強力になればなるほど細菌も鍛えられてMRSAが出てきた、なんていうのもこの範嚼に入るかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

神経科に移つてこの四年の間に、私はこの「社会の変化-病気つながり」をニつ実感しました。

 

 

 

 

 

 

 

その社会の変化とは、コンビニエンスストアと携帯電話です。これらはいずれもいつたんその便利さを知つてしまえば、暮らしになくてはならないものになります。そして、便利さの〈副作用〉についても、数多く指摘されているところです。

 

 

 

 

 

 

 

それじゃあこれらが、病気のかたち、ケアのかたちをどう変えるのか。そんな側面から考えてみると、実に多くの発見がありました。

 

 

 

 

 

 

 

いずれも細かく文献を探せば、すでに指摘している人がおられるかもしれませんがいろいろ考えさせられる発見なので、試論として、自分の言葉でお話ししてみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

手の内を明かせば、私にとつてもこの二つは、なくては暮らせないものです。たとえば、朝出勤時の楽しみは、コンビニエンスストアで昼ご飯を買うこと。病院にも社員食堂があるのですが、いかんせんメニユーが少ない。ずらり並んだ食品のなかから「今日の一品」を選ぶコンビニの楽しみに、どうしても軍配か上かります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ですから私は、それらに問題があるからといつて、すぐにやめろとか、捨てろとか、なかつたころがよかったという話にはできません。どのような問題が起こっているのか、起こりうるのかを知ったうえで、その便利さを手放さずに暮らしていく方法を探りたい。それが私の都合のいい望みなのです。

 

 

「食後2時間の血糖値」の食後とは,食べ始めの時間からですか?それとも食べ終わりの時間からですか?

 

糖尿病における血糖の管理目標として.血糖の平均値表すHbA1cに.食後血糖が注目されています.それは.食後の高血糖が独立した心血管疾患のリスクになることが判明したためです.このことから.糖尿病治療のガイドラインにも食後2時間後の血糖値を80~140mg/dL未満にコント□ールすることが「優」の条件としてあげられています.

 

 

 

 

 

 

 

しかし.食後とは一体どのような状態を指すのか詳しい説はなく.ましてや食事開始のどの時点から2時間をカウントするのか.正確な定義はなされていません.これは.食後の血糖の変化が耐糖能正常から糖尿病に至るまで必ずしも一定のパターンを示さず.心血管疾患のリスクとなる正確な食後の血糖値を決めかねているからです.

 

 

 

 

 

 

 

食事として摂取された炭水化物は.まず脾液のff-アミラーゼによって扨水分解を受け.小腸の刷子縁上のa-グルコシダーゼおよび冷-グルコシダーゼによって単糖(ほぼプドウ糖)まで分解されて.そこで吸収されます.小腸で吸収されたプドウ糖は門脈に入り.10~25%が直接肝臓に取り込まれた後.大循環に流入し.食後数分以内に速やかな血糖の上昇を生じます.血糖の上昇に呼応して分泌されるインスリンは.膵臓や筋肉におけるプドウ糖の取り込みを促進するとともに膵臓における糖の放出を抑制することによって血糖を下げ.食後2時間以内に血糖は正常化するのですインスリンが食前値に戻るまでの4時間程度の間を食後状態としています.その後.血糖は膵臓におけるグリコーゲンの分解による糖の放出と末梢での糖利用のパランスによって一定値を維持します(吸収後状態).これが10時間以上持続すると.膵臓ではグリコーゲンの分解が抑制され.糖新生系の亢進にスイッチが入れ替わって.糖の原料として利用できるアミノ酸(糖原性アミノ酸)を動員しながらプドウ糖を血中に送り出すようになります.これが厳密な意味での空腹時状態です.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

したがって.3食きちんと食べる方の場合.食事毎に食後状態と吸収後状態が重なり合っており.狭義の空腹時状態は早朝の数時間に過ぎず.日中の大部分は食事の影響下に置かれています.日中はすべて食後だといわれるゆえんです.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このプロセスは.インスリン作用の低下する糖尿病状態では.大きく変化します.は.グルコース持続モニタ一を用いて.耐糖能正常.境界型.糖尿病の血糖プロフィールを調べたものです.健常な人では.食後の急峻な血糖上昇が2時間以内に100mg/dL以下に是正されていますが.境界型から糖尿病に至るに及び.血糖は上昇し.その是正にも時間がかかっており.とくに午後の血糖値の変動が顕著になる様子が示されています.このように食後血糖のピークは.病態によってがなり異なっています.また.食事時間(午前か午後か).脂肪や繊維の摂取量によっても影響を受けます

 

 

 

 

 

 

 

現在.食後血糖の目安に食後2時間が暫定的に用いられているのは.75 gプドウ糖負荷試験の2時間値と整合性を合わせるためでもあり.一般的には朝食摂取直後の2時間値を想定しています.しがし.いまだ食後の定義は定まったものではなく.脂質の変化を含め.概念の確立には今後のさらなる検討が必要と考えられます.

 

 

それでは、ナイチンゲールの百五十点の印刷文献はどのような概要になっているのでしようか?

 

 

この大仕事に取り組んだのがW.J.ビショッブとス-ゴルデイのニ人です。

 

 

 

 

 

ピショップは七年がかりでナイチンゲールが書いた遐大な著作を読んでその整理にとり組み、そのビショッブの仕事を、彼の死後に引き継いで一冊の本にまとめ上げたのが、ゴルデイです。それは「A-Bio-Bibliography of Florence Nightingale.」という夕イトルになつて出版されました。この書物のおかげで、今、私たちは苦労せずにナイチンゲール印刷文献の概要を知ることができるのです。ビショップは百五十点のナイチンゲール文献に、一から百五十までの番号をつけ、それを九項目に分類して並べていきました。さらに、その一つ一つの作品について、その内容を紹介し、解説を加えるというスタイルをとりました。これによって、ナイチンゲール文献の全体像をつかむのは、たいそう楽になったのです。

 

 

 

 

 

ピショップによって分類された九項目とその作品数を上げれば、次の

 

ようになります。

 

 

 

 

 

(一)看護についての文献:四十七編

 

 

 

(ニ)英国陸軍についての文献:十一編

 

 

 

(三)インドおよび植民地の福祉についての文献:三十九編

 

 

 

(四)病院についての文献:八編

 

 

 

(五)統計学についての文献:三編

 

 

 

(六)社会学についての文献:九編

 

 

 

(七)回顧録と献辞:八編

 

 

 

(八)宗教おょび哲学についての文献:四編

 

 

 

(九)その他の文献:ニ十一編

 

 

 

 

 

 

 

上記のょぅに分類された項目とその著作数を眺めただけで、ナイチンゲールが掲げたテーマの広がりと、彼女の関心の角度の深さとその能力といったものが読み取れるはずです。確かにこれで見る限り、ナイチンゲールは単なる看護婦ではなかったのです。陸軍の組織のあり方や病院のあり方、また統計学社会学といった看護とは全く異なると思われる分野においても、それぞれ古典ともいえる名著を残しているからです。

 

 

 

 

 

したがって、それぞれの領域の専門家たちが、その専門的な知識をもってナイチンゲールの著作を読み込んでいけば、彼女は〈病院建築家〉になったり、〈統計学者〉になったり、また〈社会事業家〉や〈社会学者〉になったり、さらには〈公衆衛生の専門家〉だったり〈疫学者〉だったりするのです。それほど多くの〈顔〉を持つナイチンゲールですが、彼女はやっぱり〈看護婦〉なのです。

 

 

 

 

 

なぜなら、何といってもナイチンゲールの代表作は「看護覚え書」ですし、その中で彼女は〈看護であるものとないもの〉をみわける眼を示すことで、すべての人に本来の看護の姿を知ってもらうことを生涯の目的にしていたからです。ナイチンゲールの長く苦闘に満ちた一生の中身を知れば、彼女の生の目的がいつでも〈ありたい看護の姿〉の実現をめざしていたことが分かるはずです。そのために多くの関連分野の知識を駆使し、人々に〈いったい看護とは何か〉を説こうとしたのです。その視点でナイチンゲール文献を見つめれば、すべての文献が看護的視点で書かれていることは明白な事実です。